【7月】
雨のダービー、
清水での久しぶりの勝利、なぜかこのタイミングで、
オレのユルネバ実況があり、7.18の横浜花火デー。この日の晩、仲間がこの世を去った。その頃から、非公開であるけれども、「センチメンタル・フーリガン」のメモをしてる。今だから、ちょっとだけ公開。
サポーターとは
敵から何かを奪うものではなく
味方に何かを与えるものである。
オレたちは、相手から何も奪うことはできない。
ボールを奪うことも、得点を奪うことも、相手の体力を奪うことさえできない。
でもオレたちは、仲間に与えることができる。
ただひとつ、オレたちには与えられるものがある。
それは勇気だ。戦う勇気だ。
スタジアムには、今日もサッカーがある。
できることはただひとつ。
それができるヤツは、チームとともに笑い、喜び、そして泣こう。
で、なぜかとった行動が、
飛田給の物件探し。しかし契約ならず。
【8月】
阿佐ヶ谷に
トーキョウ七夕を見に行き、
「センチメンタル・フーリガン」としての活動をスタート。一方ではモーチュウとして
「クルクル・ルーカスTシャツ」を発表。おかげさまで、両方とも好評でした。みんなありがとう。
浦和で初バンデーラを体験し、磐田では、サッカー専用スタジアムで
初のゴール裏最前列を体験。
【9月】
アウェーの横浜戦。J'sゴールの速報しか見れないオレは、89分で止まったままの時計に胸騒ぎを覚えていた。そう、
ルーコンが大変なことになったあの日だ。本当は、ルーカスのために、
ブラジルDAYに合わせて作ったルカTだったけど、それよりもルーカスの状態がホント心配だった。
【10月】
この頃から、
憂太がキレキレぶりを見せつける。そして
運命のダービー。
クルクルTシャツが、ルーカスの手へと渡り、ついには
ガンバをも下してしまう、今思えばイケイケな10月だったなぁ。
【11月】
イケイケな勢いそのまま、「センチメンタル・フーリガン」でも、
マフラーを発表。一方、味スタには
アジパンダが来たなあ。あ、あと
東京ダービーがなくなったのも、11月だったか。
【12月】
そして12月。
ルーカス退団の知らせ。仲間は平日の夜、成田まで行ったよ(しかしいまだにオレはルーカスがひょっこり小平に現れるような気がしてる)。さらに追い打ちをかけるように、原監督が退任。賛否両論の
退任挨拶だったが、内容は原監督らしく、お別れだけど楽しいものだった。
うーん、2005年後半も、濃かったなぁ。
別れもあった。たったひとつの勝利がこんなにも嬉しいことを知った。
結果だけを見れば、満足のいくものではないかも知れないけれど、
きっとチームも、選手も、そしてサポーターも成長した(させられた)1年だったんじゃないだろうか。
そして2006年へ。
また新しいトーキョウが始まると思うと、今から楽しみで仕方がない自分がいる。
来年も素晴らしいシーズンでありますように。