2006年 10月 06日
手。
b0015993_1673997.jpg先日の新潟戦、75分。
スコアはすでに1-3。
1点返せれば、
何かが起こるかもしれない。
しかしここで追加点を奪われれば、
間違いなく試合は終わる。

79分。東京は痛恨のPKを与えてしまう。
「終わった」。
誰もがそう思いたくなる場面だった。


ゴール裏2階席から遠くに見えるゴールはちっぽけで、
土肥がどんな表情でこの苦境を乗り切ろうとしているかは、判別することができない。
ただ、スタンドなんかで感じる以上に、ピッチにいる選手たちは苦しかったろうことは想像できた。
5連敗の後のホーム。先制。しかし同点。逆転。そしてPK。
オレだったら逃げ出したくなる。

新潟のエジミウソンがペナルティスポットにボールをセットした、その時だった。
スタンドからその光景をただ眺めるしかないオレの隣から
「シオが祈ってるよ」という声が聞こえた。

たしかに彼はベンチの脇で跪き、顔の前で両の手を合わせ
反対側のゴールでいま行われようとしている拷問のような行為を、じっと見つめている。

彼は祈っていた。少なくとも、オレにはそう見えた。

大学No.1キーパーと呼ばれ東京に入団するも、公式戦での出場機会はナビスコカップだけ。
リーグ戦での出場はいまだなく、入団以来、土肥がどれだけ不調でも、
故障を抱えようとも、彼にチャンスは巡ってこなかった。
穿った見方をすれば、彼にとって土肥はピッチに立つための障害のようなものだ。
土肥さえいなければ、彼は今頃、東京の守護神としてピッチに立っていたかもしれないのだから。
この日も、倉又監督は交代枠を使いきり、シオの出場機会はすでになくなっていた。

しかし彼は祈った。止めてほしいと祈った。土肥にチームを救ってほしいと。

結果は、誰もが知っている通りだ。
ボールがネットに吸い込まれた瞬間、彼は崩れ落ちるようにうなだれた後、
静かにベンチに戻った。

彼のこの行為は、オレの胸を打った。
しかしあえて厳しいことを言うならば、その祈りは、シオの弱さだ。

サポーターは声援を送り、祈るくらいしかできない。
でもシオはGKだ。東京のGKだ。ピッチは目の前にある。

その手で、レギュラーを奪い取れ。その手で、敵のシュートを弾き出せ。
その手は、祈るためではなく、東京のピンチを救うためにあるのだから。


【追記】
PKのくだりでシオが祈っている時、
キーパーグローブはしていなかったことがわかりましたので訂正します。
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by tokyo-boys12 | 2006-10-06 16:11 | FC東京


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